闘病記(医者が病に伏して思うこと) 第2話


~確定診断までの経緯と
      血液悪性疾患診断の難しさ~

第1話では2021年10月8日を最後に私が突然クリニック診療を長期に渡り中断せざるを得なくなり、患者様や職員の方々に多大なご迷惑をおかけした理由と経過をお話しした。特に発病初期の症状について詳しく述べた。
今回は入院後から確定診断に至るまでの経緯について述べたい。
本闘病記では自身の症状、病態をかなり詳しく、必要に応じて医学用語(できるだけわかりやすい解説を加えつつ)も交えながら記述することを敢えて試みた。私は「血管内リンパ腫」という約80種類にも分類される悪性リンパ腫のなかでも希少な疾患であると診断され、担当医より自身のゲノム情報や細胞バンクへの提供を依頼され同意した。
多くの医学者に情報提供することにより、将来この疾患の診断や治療の発展に寄与したいと考えた。また自分自身の症状や身体所見などを詳細に記録に残しておくことは、医師としてのささやかな義務でもあると考え、この闘病記を通して記録を残すことにさせていただいた。
話を入院直後の状況に戻そう。強い倦怠感、手足の痺れと肛門周囲の痺れはこの時パンツに覆われる部位全体に拡大していた。また、入院時より夜間は38℃を超える発熱と、寝汗に悩まされようになった。特に寝汗は衣服やシーツがしっかり濡れるほどひどい汗であった。今まで衣服が搾れるほどの寝汗の訴えを聞いた時、大げさな表現だと思っていたことを恥じた。
最初は夜間だけの発熱(昼間は微熱程度)であったが、やがて昼夜問わず38.5℃程度の発熱を繰り返し、解熱剤を一日2-3回は服用するようになった。倦怠感、発熱、体重減少を悪性リンパ腫のB症状と言うことを不勉強なことに今回知った。体重減少は認めなかったが、それは浮腫や腹水が原因であると自分では考えていた。
闘病記第1話で病初期から炭水化物制限やプチ断食療法を継続していたことを述べたが、約一カ月が経過した時点で体重は3Kg近く低下している計算であった。
しかし現実には3Kg以上増加していた。顔は浮腫み、特に下腹部の張りはかなりひどいものであった。CT検査の結果、腹部膨隆は内臓脂肪が原因で、腹水はないと指摘されていたが、それはあり得ないと自分では考えていた。
私は腹部内臓脂肪や心外膜脂肪と冠動脈疾患の関連を研究していた時期があり、脂肪と水のCT値は近く、脂肪と水の混在(あるいは内臓脂肪の浮腫み)をすべて脂肪と判断されたと理解した。
後に腹部膨隆の主たる原因が腹水であることを、実際身をもって体験することになるが、次回に詳しく述べたい。
倦怠感に関しては、発熱や寝汗の合併も影響してか入院後も日に日に増悪していった。トイレだけは他人の世話になりたくないと、ベッドと室内トイレだけの往復は力を振り絞り自力で移動した。
最終的には自ら絶望的な倦怠感と表現せざるを得ない、あらゆる重力に逆らう動作も辛い状況に陥り、寝返りさえも困難になった。今まで自分が倦怠感と考えていた症状は実は本当の倦怠感ではなかったと思うようになった。
倦怠感とは何かについては病床で深く考えたので、機会があれば触れたい。
入院後まもなくヘモグロビンが7.0g/dl近くまで低下し、貧血の進行(健康時に比べ血の濃さが半分程度)のため輸血が施行された。以後入院中に合計3回輸血が行われた。輸血をすると多少身体が楽になった気がしたが、倦怠感はあまり変わらなかった。この時ヘモグロビンが7.0g/dl程度でも、活動せず安静にしていればあまり自覚症状に変化はないものだと妙に感心もした。
ここからは入院後から確定診断に至るまでの経緯をお話しする。
入院当日は血液検査、胸部レントゲン、心電図など入院時の一般的検査と特殊採血検査が行われた。
第2病日に脳神経内科の診察と骨髄生検が施行され、翌日には骨髄のフローサイトメトリー(細胞の大きさ、細胞質の特徴、細胞表面抗原の特徴などをレーザーで分析し、標本に存在する細胞の特徴を解析する検査法)の結果よりB細胞リンパ腫であることが強く疑われた。
また第3病日に予定されていたランダム皮膚生検(5mm四方程度の皮膚を皮下脂肪組織も含め、複数個所採取し、皮膚の微小血管でリンパ腫細胞の増殖が存在しないか調べる検査)を受ける前の皮膚科診察があり、検査の説明と同意、皮膚生検部位を決定するための皮膚観察が行われた。
老人性血管腫(加齢により皮膚に出現する赤色で点状から米粒大の半球状小隆起)にはリンパ腫細胞が集簇する確率が高いらしく、そのような所見がないか全身をくまなく観察された。また、皮膚に物理的な刺激を受けた部位にリンパ腫細胞が集まりやすいらしく、胸腹部の皮膚に粘着テープを張っては剥がす行為を数回、数か所に行われた。
翌日8-10ヶ所の部位で皮膚生検が行われた。3人の皮膚科医が一斉に胸腹部、左上腕、左大腿に手分けして麻酔の注射を開始し、痛みに耐えた。約20分程度で組織が採取され、縫合して終了した。
第4病日にはPET-CT(悪性腫瘍はブドウ糖の取り込みが多く、特殊な方法でブドウ糖の集積する部位を描出し、CTと同時撮影することで、悪性腫瘍の分布を調べる検査)と腹部超音波検査、第5病日に心臓超音波検査が施行された。
土日をはさみ第8病日に今までの検査で血管内リンパ腫と考えられるが、残りの検査結果で確定すると説明された。
そして第10病日に血管内リンパ腫であると確定診断され、明日から治療が始まることを告げられた。
この時、倦怠感は極限状態に達しており、もし診断がつかなければと絶望的な気持ちになっていたため、ようやく治療が始まると告げられただけで救われた気持ちになった。
ここで血液悪性疾患の診断が、他臓器の悪性疾患に比べ困難であり、どのような問題が存在するのか考えたい。
循環器が専門である私が、専門外の血液疾患について語るのは大変僭越なことだと思うが、血液悪性疾患を自ら経験し、この疾患領域に対して学び、思うところもあり、敢えてこの問題に触れる。
血液内科専門医からみて必ずしも理解が足りない、誤解していると思われるところがあるかもしれないがお許し願いたい。
肺がんや胃・大腸がん、肝臓がん、乳がん・子宮がんなど血液以外の様々な臓器がんは大部分が固形がんであり、腫瘤を形成し、肉眼や画像で確認できる。腫瘤が小さいうちは大抵無症状で、健診や他の疾患で治療中に偶然発見されることが多い。腫瘤がある程度大きくなると、その臓器に関連した症状で受診し、レントゲンやCT、内視鏡などの画像診断で存在が確認される。
即ち初期の段階ですでに病変の存在が確認され、後は組織を採取できれば確定診断に至る。たとえ確定診断に至らない場合でも、外科的に切除することにより、診断と治療を兼ねることも可能である。
しかし血液悪性疾患では不明熱、倦怠感、血液異常(貧血、血小板や白血球の減少あるいは増加)などをきっかけとして医療機関を受診することが多く、病気を疑うところから出発する。この段階ではまだ悪性疾患の存在すら不明で、全身のどこかに疑うべき所見が存在しないか探し始めるところから出発し、他臓器のがんに比べ診断のハードルが最初からかなり高いと言える。血液悪性疾患でも白血病や多発性骨髄腫など主に骨髄が増殖の場である疾患は、骨髄生検などターゲットを絞り精査できる。
しかし、リンパ球は骨髄で造血幹細胞から分化した後、全身のリンパ節や各臓器のリンパ組織で分化・成熟するため全身のどこに腫瘍増殖の場が存在するか探し出すことに困難を極めることも多い。頚部や腋窩リンパ節のように体表面に近いリンパ節に病変が存在する場合は、比較的診断が容易な場合もあるが、様々な臓器内、胸腔や腹腔内リンパ節に病変が疑われる場合は、そもそも組織を採取するだけでも侵襲やリスクは高い。
各臓器の専門医や侵襲的な検体採取に習熟した放射線科医の助けも必要であり、血液内科以外の診療科との総合力が問われ、診断のハードルは高い。また、私のようにリンパ腫細胞が主に微小血管内で増殖するタイプのリンパ腫は腫瘤すら形成せず、私が受けたようなランダム皮膚生検あるいは臓器の生検などで診断がつけば良いが、以前は死後病理解剖で診断されることも多かったと聞く。
さらに血液悪性疾患の診断や治療を難しくしていることは、腫瘍細胞の染色体、遺伝子、細胞表面に存在する様々な抗原の特徴などを含めた診断が必要であり、その結果が明らかになって初めて治療方針が決まることである。
そのため血液内科医のみならず病理医や検査技師も高度な経験や知識が必要であり、今回の皮膚生検でもどこの皮膚組織を採取すれば診断確率が上がるのか、経験とノウハウの蓄積が鍵を握った可能性もある。
私の場合は特殊な例かもしれないが、血液疾患の診断や治療には病院全体の総合力が求められる場合も少なくないように思える。
今日医学の進歩により、分子標的薬など新しい悪性腫瘍治療薬が研究されており、特に血液悪性疾患は根治を目指せる悪性疾患になりつつある。そのため、病理学的に詳細な診断、ステージ分類(病気の進行分類)、年齢や各臓器の予備力などを総合的に評価し、初回に最善の治療を選択することが非常に重要である。
しかし病状の進行により、確定診断に至る前に見切り治療を開始せざるを得ない場合もあると思われる。そうなると寛解率も低下し、確定診断が極めて困難となり、再発時の治療方針を立てることも難しいらしい。
次回は治療経過についてお話しする。
           いつきクリニック一宮 松下豊顯